写真は若かりし頃の父の診療風景です。朝早くから夜遅くまで
昼食をとる暇もなく技工もこなし働きづめだったそうです。
そんな父が64歳で日航機事故に遭遇して33年になります。
いよいよ今年私がその年齢になり感慨深いものがあります。
事故翌年に立ち上がった兵庫県警察歯科医会、手探りからのスタートで
兄と共に歩んでまいりました。
日航機墜落事故に始まり、阪神大震災、福知山列車事故などの現場の状況は
いずれも鮮明に浮かんできます。貴重な体験を数多くさせて頂きました。
父親の時の恩返しと唯々ご遺体を早く家族のもとへとお返ししたいとの
想いでやって来ました。歯科医師になってよかったと誇りを持てる瞬間でもありました。
父と同じ年になる今、後に続く後輩も育てないといけませんし社会にも少しは
貢献できたかなと思います。厳しくあまり褒めてくれない父親でしたが
「よく頑張った、もういいよ」と言っている気がします。
ようやく踏ん切りがつきこの3月いっぱいで警察歯科医を勇退いたします。
関係各所の皆さまには感謝の言葉しかありません。有難うございました。
歯科診療はまだまだ続けます。
追・大量災害、事故はいつどこで起こるか分かりません。その時に備え
身体の動くうちは要請があれば補助要員として駆け付けたいと思います。